黒木瞳の本名は伊知地昭子(旧姓:江上)です。彼女は1960年10月5日、福岡県八女市(旧・八女郡黒木町)で生まれました。芸名の「黒木瞳」は、出身地である黒木町に由来し、同郷の作家・五木寛之が命名しました。幼少期から表現力豊かで、人前で何かを披露することが好きだったと言われています。
幼少期から学生時代
黒木さんは4人きょうだいの末っ子として育ちました。幼少期から音楽や読書が好きで、小学4年生からは剣道も習っていました。読書好きな一方で、外で遊ぶのも好きで、友達とよく自然の中で過ごしていました。中学2年生の時、文化祭で友人が演じた舞台を見て役者を志し、高校では演劇部に所属し、部長として九州大会に進出するなど活躍しました。演劇を通じて表現する楽しさを知り、ますます役者への道を意識するようになったそうです。
宝塚音楽学校への進学
高校1年生の時、福岡市民会館で行われた宝塚歌劇団の公演「ベルサイユのばら」を鑑賞し、その華やかな舞台に衝撃を受けました。当初は音楽大学への進学を考えていましたが、宝塚への憧れが強まり、記念受験のつもりで宝塚音楽学校を受験し、見事合格しました。受験に際しては、歌やダンスのレッスンを受けながら、厳しい試験に挑んだといいます。
宝塚歌劇団での活躍
1981年、宝塚歌劇団に入団し、月組に配属されました。入団2年目には、史上最速で月組トップ娘役に就任し、大地真央の相手役として注目を集めました。在団中は「ガイズ&ドールズ」や「二都物語」など数々の舞台で活躍し、持ち前の演技力と美しい容姿で観客を魅了しました。特に「二都物語」では、繊細な演技が高く評価され、多くのファンを獲得しました。1985年に惜しまれつつも退団し、新たなステージへ進むことを決意しました。
女優としての活動
退団後、映画「化身」(1986年)で主演デビューを果たし、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました。その後も「失楽園」(1997年)での大胆な演技が話題となり、最優秀主演女優賞を受賞するなど、映画やテレビドラマで幅広く活躍しています。さらに、ドラマや舞台でも精力的に活動し、多彩な役柄を演じることで、女優としての地位を確立しました。2000年代以降も、「半沢直樹」や「Doctor-X」など人気ドラマに出演し、幅広い世代から支持されています。また、映画監督としても活動し、2016年には映画「嫌な女」で監督デビューを果たしました。
プライベート
1990年に一般男性と結婚し、1998年には長女が誕生しました。結婚生活は34年目を迎え、結婚記念日には毎年バラを贈られるなど、夫婦仲の良さが知られています。仕事と家庭を両立しながらも、娘の教育にも力を入れており、育児に対する真剣な姿勢が注目されました。近年ではエッセイの執筆やトークショーなど、多方面で活動し続けています。
黒木瞳さんは、本名の「伊知地昭子」としての素顔と、女優「黒木瞳」としての華やかなキャリアを併せ持つ魅力的な人物です。現在もなお、日本のエンターテインメント界で輝き続けています。
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